愛しているなにかが生きていくために重要になることはたしかにあらうるがその逆はありえない。生命の生存において必要なものを愛しく思うことはまずないだろう。たとえば太陽、たとえば水、たとえばオゾン層――ひいては地球。“なくては生きていけない”ものは現在あることが前提だ。当たり前に生きているから。逆を言えばそれらが存在をやめれば生きることはかなわず、また消失を止めることもできないのであればわざわざ愛を向ける必要はないのだ。
 以上の考察からハレルヤはロックオン愛していたあるいはそれに類似する感情をもっていたのではと考える。
 ハレルヤにとって彼はたぶんはじめて触れられて触れた“なにか”だ。アレルヤですら片割れには肉体を伴った接触はできなくて。だから片割れから見たアレルヤはなくては存在できないなにかだ。愛の対象ではなく。終局として自己愛で終極する関係性。どちらがアレルヤでどちらがハレルヤかわからないグレイゾーンの境界性の外あるいは内に存在する感情の論理。
 生命は太陽を要するのに愛することはない。同様にハレルヤはアレルヤを愛してくれているわけではない。アレルヤは片割れを愛することはできるけれど。
 翻ってみてロックオン・ストラトス。彼は太陽ではなかった。似たものではあったけれど月くらいにはちがっていたと思う。なぜならアレルヤは生きているから。彼が死んでしまっても生きている。だからロックオンのことは慕っていたのだろう。けれどハレルヤはそうではなくて。
 ひとを愛すということはそのひとがいなくなっても生きていけると約束することだ。いずれさよならするということ。だから常にそばにあるものを愛する必要はない。なくては生きていけないのなら消失と同時に終わるのだから。






イカロスにはなれない
生きていくうえで不可欠だとしても誰も太陽に恋しない