朝起きてするのはまず顔を洗うこと。それだけで目が覚めなければショック死を覚悟してシャワーを浴びる。健康にはわるくても今日咳的に頭が覚醒するし、からだに対する悪はもう今さらだ。さんざん痛めつけたからだはたぶんもうちょっとのことではおどろかない。そういう風にできあがってしまった。かなしいかどうかは自分ではわからない。今のところちゃんと起きてしゃんとなるのならそれでよかった。 寝間着から着替えるついでに寝具を整える。出かけることはあまりないけれど寝室に帰ってきてめちゃくちゃのままのそこを見るとなんとなくさびしい気持ちになるので。天気がいい日がつづいたならシーツとピローカバーは毎日洗濯して、ブランケットはたまに日干しするくらい。太陽に当てるだけなのにずっとあたたかいから寒い夜でも暖房はいらなくて、だから世界中の人びとが軌道エレベーターの恩恵をほしがったのかもしれない。たしかに便利だとは思う。でもわざわざ戦争をして人を殺してまで得たいようなものであるかと訊かれたらたぶん首を振る。太陽光までうばいあってどうしようと言うのだろう。だぼっとしたVネックTシャツとストレートジーンズ。裾をずるずる引きずるせいでフローリングの床は歩いたところだけ筋ができて、それがふつうにいやなので掃除はわりとこまめにするほうだ。だれに言うでもなく、だれに言われるでもなく。 ごはんはブレックファストだったりブランチだったりするけれどちゃんと食べる。パンを焼いて、たまごと肉を焼いて、野菜を添えて。飲み物はインスタントだけど紅茶。砂糖やら蜂蜜やらを溶かしたりミルクを垂らしたりは日によってさまざまだ。以前はコーヒー派だったけれど一度寝起きにものすごく濃いのを飲んで午前中いっぱいお腹が痛くなったのて以来こわくて飲めないでいる。こういうのをトラウマって言うのだろう。 食器を洗って、洗濯機をまわしている間に掃除をする。一戸建ての平屋はあまり部屋数が多くないので生活範囲外すべて掃除する。フローリングなのでささっと空拭いておしまい。毛足の長いカーペットの部分は粘着テープの道具で念入りに。粗方済んだところで洗濯機がピーピーと電子音で知らせてくれるのでせまい庭に出て洗濯物を干していく。晴れだとよく乾いてくれるので地味にうれしい。くもりや雨だったら迷わず乾燥機のお世話になるのが常だ。 家事が済んでしまえばやることはもうない。買い物も払いこみもすべてオンラインでできてしまうから率先して出かける必要はどこにもなくて、でもときどき書店古書店にだけは自分の足で行く。こだわりはあまりないほうだけれどどうせ読むのなら好みのものがいいから。これは人間の欲望として当然のものだと思う。なぜ無理をして趣味に合わない情報を取得しなくてはならないのだ。電子書籍というのもからだには合わなくて。やはり自分の手でページを繰るというほうが地に足をつけて生きている感じがした。 食事のときに使うのとはべつのお気に入りのマグカップにたっぷりお湯を注いでティーバッグをじゃぶじゃぶ揺らす。マナー違反なのは教えてもらって知っているけれど飲めればいいのであまり気にならない感じ。濃い色のそれにはなにも混ぜないでティーバッグを生ゴミに捨てる。マグの縁をつかんでカーペットまで移動する。おととい買った読みさしの本を昨夜から置きっぱなしにしていたのでたぶん昨日と同じ位置に腰をおろして膝をのばす。やわらかい毛足に沈む感覚はふわふわしていていつまでも慣れない。積んだハードカバーを机代わりにマグを置いて読みかけの本を引っぱる。しおりははさまないでページ数を記憶するのは昔からの癖のようなもの。ときどきなんの数字かわからなくなることはあったけれど適当になにかをはさむよりも効率的なのはたしかだ。 膝あたりに乗っけた本のページをぱらりとめくる。比較的に好みの話。国ではなくて企業同士がおこなう戦争仕立てのゼロサムゲーム。舞台は大気圏内。そういえばもうずいぶんと飛んでない気がする。飛びたいのかと訊かれたらたぶん首をかしげてしまう感じ。 「あ」 唐突に思い出す。朝起きて本を読む前にするべきことがもうひとつだけあった。でも毎日のように本をめくってから思い出すから本当はしなくてもいいのかもしれないけれど、とりあえず本のページを覚えてから紅茶をひと口飲みこんで寝室にもどる。 きちんと整えた部屋がうす暗いのはカーテンを開けていないからだ。遮光カーテンを開けて換気のために窓も少しだけ開けて、それからベッドサイドのテーブルに置いてある一輪挿しの首をつかんだ。活けてあるのは百合に似たもの。とりあえずそれはベッドに放っておいてキッチンで花瓶をすすいでひっくりかえして、昨日の洗ったままにしておいたものを持って寝室に取ってかえす。 「朝のあいさつがまだだった」 からん、と花瓶に挿してサイドテーブルに置く。肘から指先までの骨はまるで凛とした百合のよう。白くて細長いそれは偶然見つけたものだ。どこでかはひみつだけど。言えば最後、きっとだれかに盗られてしまう(得られたのはこれだけなのに)。 「おはよう、ニール」
花瓶にあるのは花一輪 花瓶にあるのは? |