トレーニングの一環として浜辺を走っていたら固いものがつま先にぶつかって、変な気まぐれのようなものを起こして拾いあげたら角がまるい白くぼんやりしたみどり色のガラスだった。砂がはいるのをきらって今は素足で触れている砂は人によっては火傷すらもたらすものだというのに、そこに埋まっていたガラスは意外なほどひんやりしている。まるい四角のガラス片。撞着をはらんだ。熱砂に埋まっていながらもそれなのに影響を受けない性質。それどころか時には熱さえうばっていく。なにかに似ているガラスのみどりに青さを透かし見る。表面が白く傷ついてぼんやりしているせいで自分でもめずらしく好んでいる印象のある色にはならなくて。
「せつなー」
 呼ばれてふりかえる。きゅ、踏みつけた砂がこすれて音をたてた。反射的に浜の砂が白い理由を思い出す。死んだ珊瑚がくだけただけのこと、故国の砂は岩がくずれただけのこと。場所も原形もちがえど成り立ちは同じなのだと妙に納得した。
 素足ではなくかかとをつぶして履いたラバーソールが砂に足跡をつくって近づいてくる。裾を折っているためにわずかに覗くくるぶしがやたらと白い気がするのは気のせいではなくて、日に焼けると赤くなるからといつもは塗り薬だけで済ませているのに日差しのきついここ最近は袖の長いシャツを羽織っていた。気候がからだに合わないこともあってか彼が外に出ることはあまりないのだけれど。
「それはなんだ」
「んー。あー、これな。クリスに借りた。日射病でたおれちゃどうしようもないから」
 なかなか似合うだろ、なんて言ってつばを軽く引っぱる。幅広の大きな白い帽子には光沢のある濃いグリーンのリボンが巻かれて結ばれていて、そう言えば先日クリスティナ・シエラと買い物に行ってきたらしいフェルト・グレイスが似たようなものをかぶっていたからもしかしたら彼女の所有物かもしれない。自分よりも年下である少女の帽子を自分よりも年上である男が共有できるは思えないが。
「それで。おまえさんはなに持ってんだ?」
 軽く腰をかがめられたことにむっとなりつつもたずねられたのでガラスをそのまま突き出した。それは皮が分厚くてかたい手のひらの中央にあっても冷ややかだ。元はなにかの一部だったのだろう、両端がわずかに反りあがっているのがわかる。
「おー、ガラス。きれいだな」
 うなずく。きれい、という感想はたぶん浮かばなかったがこの男が言うのだからきれいなものなのだろう。手のひらがつめたい。氷とはちがうぼんやりした白いみどりの等方性無定形物質。きれいかもしれないと思いなおす。海の青さは透けない、けれど。
「おまえって実は意外なくらいきれいなもの見つけてくるよな。おにーさんちょっとうらやましい」
「そうでもない」
 今度は首を振る。本心だ。それなのにけらけらと笑われて、おさまりのわるい髪をぐしゃぐしゃと押しつぶすように撫でられた。いつもならば力いっぱいたたき落としているところだけれど撫でる手はめずらしくグローヴをつけていなかったので。触れられることは好きではない。でも熱せられた頭部につめたい手のひらがなんだか気持ちよくてなされるがままにおとなしくしておく。ふしぎと不快ではなかった。撫でる動きがゆるやかになって、そのタイミングでようやくかたわらでハロが跳ねていないことに気がついた。
「謙遜しなさんなって。おまえの感性はすごくいいものだよ。ガンダムに対するのはちょっと行き過ぎな気もするけど」
「ガンダムは、ガンダムだ」
「うん。知ってる」
「だから、そうでもない」
 もう一度だけくりかえす。
 自然によってつくられる完成された、あるいは未完成なものをきれいだと思ったことはあまりない。ふとして足を停めることはあれどもそれが美的感覚に類するか否かはいまいちわからないのだ。唯一うつくしいと思った記憶のあるものは六年近く前に見たガンダムだけだ。モビルスーツは人間のつくり出したもので、効率よく人間を大量に殺したり殺さなかったりするための兵器だ。人型大量殺戮兵器。考えたことはなかったけれどイアン・ヴァスティ曰く多方面への牽制も兼ねているらしい。どちらにせよガンダムはガンダムでしかなく、人間を恣意的かつ思惟的に殺すのは人間でしかない。他を害すことに快楽と罪悪を見出すのは人間だけだ。どこまでも獣以下の生き物だ。けれども自分が人間であることに罪悪は抱かない、おそらくこの男もそうだろう。刹那・F・セイエイ。ロックオン・ストラトス。自分たちはそういった人間だから。
「なぜだ」
「なにが」
「割れたガラスは尖るものだ」
「ああ、なんでまるいかってことね。前にも説明してやった気がするけど、まあ興味があるのはいいことだよな」
 言いながら節くれだった長い指の先をガラス片にすべらせる。やわらかい腹にそれがわずかに食いこんで、なによりも手に気を配っている男がそういう仕草をすることから角が完全に取れていることが見てとれた。白い手と、白くぼんやりしたみどりが自分の濃い色の手のひらにあるのがなんとなく奇妙に思えて意識的に数度まばたきする。
「べつに特別なにかがあるわけじゃなくてただガラス質のなにか、ええと、これみどりっぽいしハイネケンとかペリエとかかな、とりあえずガラスの瓶とかが海流に揉まれて波にさらされるとこうやって削れて角が取れるんだ。あれだ、河原の石がまるいのといっしょ。一種の風化だな。水だけど。ウォーターカッターのもっと時間がかかる版とでも考えとけ。表面が白く傷ついてんのは水中や海岸の砂がやすりみたいになってこすられるからだよ」
 こんなもんか、と小首をかしげられて角度が変わり、帽子のひろい縁のせいで表情が隠れてしまったのでわずかに一歩踏み出す。きゅ、と細かい砂が鳴いた。粒が均一でないとこうした音が生じないことは以前べつの拠点で待機していたときに聞いた。暗殺に不向きな条件だと声にして伝えたらおかしそうに笑われたのを覚えている。
「てゆか。なに、そういうこと訊くっていうのは気に入ったの、それ」
 ていねいに整えられた、まるで女のようにとがってまるい爪がガラスをつついたらカリ、と硬質な音がした。ぼんやりした白いみどりのガラス片。海の青さは透かさないくせに。ガラスの成り立ちは知らないがおそらく人間の手がはいっていることにはまちがいない。なのにこれは自然のちからがつくったかたちだと言う。不格好で傷だらけで、今は角が取れてまるくても元は傷つける鋭利さがあったはず。きれいではないと思う。割れてまるくなる前はただの廃棄物だったのだろうから。
 答えないでいたらふたたび頭を撫でられた。先ほどまでひんやりしたガラスに触れていた指先は熱をうばわれておらず、ちゃんと人の温度をしていて日に熱された頭にはつめたかった。時おり親指の付け根あたりが額に触れるからよくわかる。自分よりもずっとひくい、ロックオンが生きている温度。
「あとでおやっさんに頼んで穴開けてもらって来いよ。革ひも通してやっから。それなら首から吊るせるし」
「必要ない」
 装飾品を身につけるような趣味はなく、首になにかを吊るすのは苦手だ。綱をつけられている拘束感は当然気に入らないし、なによりそれを逆手に取られて気道を締められたら生死に直結する。むしろ頸動脈を締められたらものの一分足らずで脳に血液がまわらず死ぬだろう。それを考えればふだん巻いているストールも危険であることに変わりはないのだが聞けばスペクトラガード繊維による防刃防弾仕様になっているそうだ。スペクトラはケブラーと異なって何発喰らっても防弾効果がうすれないというのは遠距離専門家の談。
 一見はただの私服であってもマイスターの衣類はそのほとんどが組織からの配給品だ。デザインを伝えれば特殊縫製のそれが支給されるシステム。自分はそれで満足しているけれどクリスティナ・シエラはそれをきらってわざわざ買い物に出ているのだ。うわさでは軍と同じく制服があるそうだがそれでは私設武装組織である意味が欠如するような気もするなどという意見を提示したのはブリッジクルーのだれかだがさすがにそこまでは記憶していない。
 ぐっ、とガラス片をにぎりこむ。利き足を軸にして右手を振りかぶって、いつだったか待機中にモニターで見たベースボールのそれとはだいぶちがうフォームでそれを海原に向けて放り投げた。球形でないそれは太陽光を乱反射させながら弧を描いて波間に自由落下する。過去をさかのぼって考えれば球を投げたことも蹴ったこともない。プトレマイオスにもたしかに球形のAIが文字通りごろごろして大量にあるけれども彼らはガンダムや母艦を整備するためのものなので球遊び用ではない。
 帽子の縁が影をつくっているというのにさらに手で庇をつくり、ガラス片が沈んだあたりを目を細めることなく見ていたロックオンが感心したような声をあげた。
「おー、よく飛んだなあ。さすが。つか投げちまっていいの? 気に入ったんじゃないのか?」
「かまわない」
 興味が湧いたという意味では気を引かれたものではあったがきれいなものではなかった。自然によってつくられる完成された、あるいは未完成なものをきれいだと思ったことはあまりなくて、自分はきれいなものをよく見つけていると言うけれど最初にどういうものがきれいなのかを教えてくれたのはロックオンのほうだ。海中から見た水面だとか、待機中に見た朝陽だとか。経済特区のビルの間から見た飛行機雲を何気なく見あげたこともある。それが本当にきれいなものかはやはりわからなくて、けれど見つけたものを見せたときに笑ってきれいだと言うのであればそれはこんなにもゆがんだ世界にあるきれいなものなのだろう。
 自分も相当わかりにくいことはさんざん言われたので自覚はあるけれどこの男も相当わかりにくいと思う。いつも笑っているせいだ。今も笑っているのにどこかふしぎそうにしているからあおい目をまっすぐ見あげてはっきりと告げる。
「また見つける」
 ロックオンの目はきれいだ。やっぱり人間がつくったものだからだろうか。






人の造りしもの
拾って救ってそして私に見せてくれる人