げほげほと。先ほどからいやな咳をくりかえす年上の男を横目で見て刹那は無意識的に眉間にしわを寄せた。わずらわしいのではなくて。単純に自分は彼を心配しているのだというそのときの心理状態に気がついたのは最近のことだ。
 奇妙な話ではあるがどうにも気候が喉に合わないらしく今日のように風が吹く日は日がな一日中咳きこんでいる。ひどいときなど呼吸困難になった。いつか喉を切るのではと思うほどひどいならばここを離れればいいものだが武力介入をおこなう際の拠点としてひんぱんに利用している待機場所なためにからだに合わないなどという理由で移動許可がおりるはずがなく。そういう点においてこの組織はシビアなのかもしれない。
 推測的表現になるのは刹那がそのことを苦に思ったことがないからだ。たたかうものがたたかう。そこに戦場があって武器があるのであれば自分がどうであれ戦うのが道理だ。それはおそらく咳きこむロックオンも同様だろう。彼からは自分と同じ戦場のにおいがする。だからこそ彼は信用に値するのだ。もちろんそれだけが理由でないことはおぼろげながら理解しているもののいまだに輪郭をつかめないでいた。
 耳ざわりなほどの咳が数度くりかえされて、ようやく一時的に落ち着いたのかロックオンが息を長く吐きだす。
「はあー……しんど」
「だいじょうぶか」
「良好とは言いがたいけどな。まあそこそ、こっ……」
「そうか」
 言うが早いかふたたび咳こんだロックオンにその場かぎりでうなずいた後に刹那は先ほどから見ているものへと目をもどす。
 視界は高く、そして広かった。立っている場所はエクシアではなくデュナメスの肩だ。片膝をつくかたちで静止しているガンダムはそれであってもそれなりに高い。自分の愛機ではなく彼の機体を足場にするのはなにもこれがはじめてではないがやはりものめずらしく、しかし今はそれ以上のものが見えていて興味がそちらに引っ張られる。物事にあまり関心がない自覚はあったが。
「あおい」
 空があおい。
 海があおい。
 水平線という言葉を刹那に教えたのはロックオンで、その実はゆるやかに湾曲していることを飛びきりの秘密を打ち明けるかのようにささやいたのも彼だ。地球はまるい。でも本当は完全な球形ではなくて楕円型をしているそうだ。宇宙から見下ろしたことはあっても全体を見ることなど叶わなくていまいち信憑性のない話だがかつて地球の円周を測ったという酔狂な人間がいたようなので本当らしい。これはティエリアも言っていたことだから情報源がヴェーダということで正しいのだろう。べつにロックオンをうたがうわけではないが彼はときどきものすごくくだらないことで嘘をつくので。
「ロックオン」
「なんだ」
「あんたの見えるものはあおいのか」
「はあ?」
 強制的に落ち着けるためにかあまり効果はなくとも胸を押さえていた彼が素っ頓狂な声をあげる。刹那がデュナメスの肩にいて、彼は自分の足で地面に立っているから自然こちらを見あげる格好。いつもとは正反対――それ以上に高低差があってもロックオンは別段気にした風もなく片目を伏せてぐしゃりと自身の髪をにぎりつぶす。
「そりゃ、ここから見えるものは青いけど」
「ちがう」
 そうじゃないと刹那は首を振った。たしかにここから見えるものはほとんどがあおい。けれど刹那がそのあおさを好ましく思うようになった直接の原因はべつにある。はじめて見たときはなんだろうと思った。金持ちたちがその地位を見せつけるために嵌めていそうな装飾品をふたつばかり盗んで代わりに埋めこんだのかと思ったけれど直接たずねるより先に答えを見つけてしまったから。
 空のあお。海のあお。植物のあお。地球の色。
 否定した刹那の言葉を咳をしながら考えていたらしいロックオンはしばらくしてなんのことか思い当たったらしい。前例として今でも恥と思っていないのだがすなおに疑問に思ってフェルトの髪色のことをたずねたことがあったのがヒントだろう。彼女のほかにティエリアやトリニティもおそらくは宇宙生まれだろうからああも奇抜な色をしていると思っていたのだが与えられた回答はひどく単純に染めているとのことだ。あの色が似合うと思うのはそれこそ見慣れたから。
 手の甲を口もとに当てて呼吸を整えて、ロックオンは刹那を見あげた。
「んじゃ、刹那。おまえさんには赤っぽく見えるのか」
「クルジスはあかかった」
 今はない祖国はあかかった。そして祖国を呑んだ国もまたあかかった。あかく灼けてかわいた大地、すべてを燃やすあかい日暮れ。たくさんのいのちは空も地もあかく染めて。記憶にある祖国の土地、先日赴いた傾国の土地。朝も夜も知っていたはずなのに脳裏によみがえるイメージはあかでしかない。あか、あか、あか。刹那の知る世界はあかかった。組織のエージェントに名目上保護されるまでゆたかに透きとおる水など見たこともなければ瑞々しい草木も育たないようなかわいた土で育ったがためにそのようなものを知らなかった。けれど。
 開発コード "セブンソード" のガンダムマイスターとして先の三人と引き合わせられたとき刹那はロックオンの目を見てしまった。唯一自分を最初からガンダムに搭乗するに値する人間として定めた目は金持ちの装飾品を盗んで埋めたような曖昧な色をしていたからそれがあおいと気づいたのはエクシアとともに大気圏内を飛ぶようになってから。空のあお。海のあお。植物のあお。気づいてからはよく空を仰いだり海を見たりするようになって、その行為をなぜかと考えてはじめて刹那は自分がロックオンの目が好きなのだと知った。
 だから。
「世界はあおいのだと教えたのはあんただ、ロックオン」
 刹那にとって世界の色は彼そのものなのに。






どうしてもあなたの目は青いのですか
みにくいはずのこんな惑星でさえいとしくて仕方がない