ひらり、ひらり。 空から落ちてくるものを見るのはなんだか異様で、けれど嫌悪感はなかった。防寒にとうるさいくらい言われて安物でないダウンジャケットは着ているけれど直接寝ころんでいるせいで背中はひどくつめたい。がさがさと音を立てる古ぼけた小型のラジオを胸に置いて見あげる――寝ころんでいるからまっすぐ前を見ているだけなのだけれど。ノイズまじりのアップテンポの曲は聞き慣れない言葉で春を待っているらしい。らしいというのは以前流れたときに教えてくれたひとがいたから。 ほう、と吐きだした息はすぐさま凍結して白くなり、拡散。顔に触れるそれはひやりとつめたくて、あまり寒暖を知覚するような仕様ではないが寒いんだろうなあとわかる視覚情報。自分が寒いのかはよくわからない。ふらりと家を出てきて(あれ、追い出されたんだっけ)からもう二時間ばかしこの状態だ。重たくないダウンジャケットにも微妙に雪が積もって、最初は寝ころんでいるだけだったのに今ではもう埋もれている感じ。それでもふしぎと寒くはない。たしかに背中も手足もつめたいし顔にいたってはたぶん痛いくらい。それでも寒い気はしなくて、こういうことをすると決まってマイナスの言葉をずらずらさけぶ片割れも沈黙して同じように空を見ている。だまって、ふたり。旧式のラジオだけががさがさと音を立てていて。あとは空か降るものがひかえめにこすれる音だけが世界をつつんでいた。どちらがどちらでもないからっぽの状況。からだの制御を放棄しているから今どちらが主立っているかさえ不明。 分けてほしいのかもわからなくて。 「なーにしてんの。おまえ」 ひょいと顔を覗かせたひとに二、三度またたく。 「ロックオン」 「おれにはケーキつくれとか言っておきながら自分は雪見か」 「頼んだのはぼくじゃない」 「止めなかったから同罪。ま、じゃまばっかりしてくるから出てけって言ったのはおれだけど。出かけてくるって言ったのはおまえね」 思いがけず思考の答え合わせ。どちらかではなくどちらもだったからどちらかである必要はなかったらしい。なんとなく安心する。 膝を曲げてかがみこんだロックオンは部屋着にハーフコートを羽織っただけの無防備とも言える恰好で。ひとにはうるさく言ったくせに、と思わないでもないけれどこの天気で平気なやはり彼は北の生まれだ。うすい革のグローヴに覆われた手が灰白の空間をひらひら動く。そういえばさっき烏が飛んでいた。本当は烏じゃなかったかもしれない。とりあえずさっき鳥が飛んでいた。 「さっみぃー……」 「寒いんですか」 「寒い。え、おまえ寒くないの」 「まさか。寒いですよ、たぶん」 たぶんておまえそれやばくない、なんてロックオンは言うけれど。たしかに頬が凍ってびりびり痛いような感じがあってこのままでは凍傷を起こしそうな気もするけれどふしぎと寒くはない。体感温度的にはマイナス。けれどどちらかではなくてどちらでもあったから。 「ふしぎなんだ」 「なにが」 「雪が」 ひらり、ひらり。かわいた水のにおい。雨のそれとはちがう水分を吸いこんで乾燥した矛盾。雪。水蒸気が空中で昇華し結晶化して降る白いもの。視覚的に映るそれはかたまりになっているからだというのに分離し個々になるそれは決して同一的形状をなさないという。 「たしかに不慣れではあります。ぼくらは宇宙で生じた意識だから地球の重力下での天候はすこしこわい。だから雨は好きです。ここにいるってわかるから。でも雪は」 「さみしくなる」 「そう」 雪を羽根にたとえた本があった。天使の羽根。ロマンチックというよりも異様な感じ。見た目的には綿ぼこりのほうが似合いだと思ったのは自分か片割れか。だって羽毛を見たことなんて枕や掛け布団を裂いたときくらいだし、天使なんてお目にかかったこともない。どうせいないし。それなら綿ぼこりと表したほうがずっといい。わかりやすくて。けれど綿ぼこりを見てもきっと雪は思い出さない。固体化したH2O、それから分量不明の不純物。構造的には同一でも決して同じでない結晶。熱に触れられるだけでかたちを失う個別性。それでも果敢無い印象はうすくて。 「帰ろうぜ。ケーキできてるし」 ぐりぐりと額を撫でまわされる。前髪がいっしょに引っ張られてすこし痛い。グローヴ越しでもあたたかに感じられる手のひらはいつもはもっと冷えていてそれだけ外気が低いんだという事実を今さらのかたちで知る。呼気さえも白く凍る雪の昼。古ぼけた小型のラジオから流れるアップテンポ。ナンバーは天候に合わせて雪の特集らしくて、パーソナリティの若い声がもうすぐ春ですねなんて言っている。暦ではもうすぐ春なのに降る雪。すこしずつずれていく異常気象はたしかに異様だけれど嫌悪感はない。歓迎もしない。 「ロックオン」 「んー」 「帰ったらチョコレートが飲みたいです。あったかいの」 額に置かれたままのグローヴの手、その首をつかんで。思いきり引き倒したらこのひとは怒るだろうか、それとも笑ってくれるだろうか。寝ころんでいただけなのに埋まってしまったからだを起こせば変な型ができていて、引き倒さずともロックオンはけらけら笑ってしまったからはやく雨になればいいのにと思った。 |